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9歳で失聴。小学校5年でろう学校に転校し、初めてろう者と手話に出会われました。ろう学校や就職の様々な場面でろう者への差別や偏見と対峙し、これが、後のろう者の権利擁護、社会参加と自立を求める「ろうあ運動」への原動力となっています。 |
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昭和45年に全日本ろうあ連盟の役員となり、平成21年までの39年間、書記長、出版局長、事務局長、副理事長等を歴任し、平成9年より12年間理事長を務められました。氏の優れた指導力と人望のもと、ろう者の運転免許獲得、手話通訳制度の確立、欠格条項撤廃運動等を主導し、現在のろう者の社会的地位の礎を築かれました。 |
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昭和60年には厚生省(当時)委託事業で実務責任者として手話通訳の重要性・必要性について国民の理解を大きく広げ、理事長就任後の平成9年以降、手話通訳養成カリキュラム改正、全国手話検定試験の実施、全国手話研修センターの開設等、手話通訳制度の整備・充実を推し進められました。 |
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また、平成10年には、医師法・薬剤師法等に残る聴覚障害者などの障害者に係る欠格条項の撤廃を求め、220万人の署名運動を主導。国は多くの法律を見直し、平成13年に聴覚障害者の薬剤師が初めて誕生し、以降、聴覚障害者・視覚障害者等の障害者の職域が大きく広がることとなります。
以上のように聴覚障害者の権利と手話の普及を訴え続け、地道な努力を積み重ねて数々の功績を残し、聴覚障害者の社会活動の模範、目標としての姿を常に示し続けておられます |